ヘッセの「少年の日の思い出」をドイツ語で読みたい

ドイツ語は分からないけど。『そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな』

「少年の日の思い出」と「クジャクヤママユ」は別物だった!!

 国語の教科書と、Amazonで買ったDas Nachtpfauenaugeの直訳がなんとなく合わないなあと思っていましたが、最近その謎が解けました。

 ヘルマン・ヘッセが初めにしたのは「Das Nachtpfauenauge」、つまり「クジャクヤママユ」でした。1911年に雑誌で発表したものですが、単行本には1919年にKleiner Gartenに収録されました。

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検索すると、ヘッセの伝記にその単行本の名前が表示されていることがわかります。

 

 その後、1931年に改稿してJugendgedenkenというタイトルで新聞に載りました。調べたところ、日本の図書館においてJugendgedenkenの原文が読める本は1冊しかありません。郁文堂が1957年に発行したドイツ語の教材です。鹿児島の図書館に蔵書されていることがわかったので、さっそく近場の図書館で申請しました。県外の図書館から資料を取り寄せてくれる相互貸借制度というものがあるそうです。JALマイルがたまっているので鹿児島まで飛ぼうと思いましたが、そんな暇がなかったので助かりました。

申請を出してから10日ほどして最寄りの図書館に到着したという電話が入り、さっそく足を運びました。館内閲覧という条件で借りることができました。

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おお~~~~なんか感動

個人が図書館に寄贈したもののようですね。

Herausegegeben von K. Takahashi、「編者=高橋健二」でしょうか。

Das Nachtpfauenaugeでは第1文目でHeinrich Mohrという人物名が出ていましたが、Jugendgedenkenではどうでしょうか。

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上がJugendgedenken、下がDas Nachtpfauenaugeです。Jugendgedenkenは館内閲覧しかできなかったので、複写申請して4ページだけコピーしてきました。

3語目から違いますね。やはり、「クジャクヤママユ」と「少年の日の思い出」は別物ということがわかりました。JugendgedenkenのほうにはHeinrich Mohrなる人物は出てきません。改稿したときに名前は消したのですね。理由はわかりませんが。

編者の高橋健二氏はあとがきでこう書いています。

Hermann Hesse (1877-1962)は大小の作品を通じて絶えず幼少時代の思い出を書いている。それが比類のない魅力を持っている。それは日本人にも心から共感されるもののようである。実際にHesseの幼少年時代の思い出はHesseの人がらを最もよくしのばせる、同時にそれは万人の心のふるさとに通うものである。

 私の実家には親が読書家だったのでHesseを含め多くの文庫本があり、「車輪の下」は中学時代に読んだ記憶があります。ヘッセの小説は学生時代に読むと感化されるものがあるかもしれません。それはドイツだろうと日本だろうと変わらない共通の感性をゆすぶるものです。その中でも私は「少年の日の思い出」がとりわけ記憶に残っているのは、中学生の時に読んだからというのがあるでしょう。おそらく、三十路目前の今初めて読んでいたとしたら、そこまで感じるものはなかったのではないかと思います。

編者が1931年の夏、初めてHesseを訪れた時、Hesseは、汽車の中で読みなさいと言って二,三の切り抜きをくださった。その中のWürzburger General-Anzeigerの切り抜きにのっていたのがこの一編である。編者はスイスの美しい景色も忘れて、車窓でこれに読みふけったのであった。

私を含め多くの中学生たちがこの色褪せない少年時代の思い出に共感してきたのは、Hesseがこの物語を書いたこと、高橋氏がHesseを訪れてもらった切り抜きの物語を翻訳したこと、それを教科書会社が教科書に掲載したこと・・・そんな経緯があるからなのですね。

次回、第1文目から、こんどはJugendgedenkenの原文を参考にしながら復習することにします。